バプテストデーについて ④

「神戸への伝道」

今月は、アメリカ・バプテスト宣教同盟(北部バプテスト、後のアメリカンバプテスト連盟)から派遣されたネイサン・ブラウン、ジョナサン・ゴーブル両宣教師夫妻が1873年(明治6年)2月7日 横浜港に到着したことを記念して制定されたバプテストデーに絡み、当時の歴史を振り返っています。
→ その①「来日の背景」こちら
→ その②「バプテストのこだわり」こちら
→ その③「ブラウン先生の軌跡」こちら

今回は番外編として、その後に行なわれたバプテストの神戸伝道について簡単に記します。彼らの次に東京地区担当の宣教師として派遣されたJ・H・アーサー宣教師は、病のため4年後に帰国し、不幸にもその年に召天しました。翌年、彼の後継者として派遣されたヘンリー・H・リース宣教師が関西伝道の礎を築くことになります。彼は東京第一浸礼教会から自らも含めて6人の会員を引き連れ、1882年に神戸第一浸礼教会(後の下山手教会、現在の神戸聖愛教会)を設立し、姫路へとその伝道拠点を広げます。また特に神戸伝道においては、その後1888年から43年間に及ぶ活動を行なったロバート・A・タムソン宣教師の働きが大きく、彼について後任のジョン・A・フート宣教師は1931年の報告でこう記しています。

「神戸におけるこれら三つの教会(神戸・兵庫・葺合)は、宣教師との密接な繋がりなく運営されることが期待されている。神戸のタムソン一家の後を継ぐ宣教師を配置する考えはない。この事はタムソン一家の活動と三つの教会の能力と堅実な自立の証拠である。」 (Japan Baptist Annual 1931)

この葺合教会の流れを汲むのが、私たち西岡本キリスト教会なのです。(牧師 藤岡  荘一)

Mrs_and_Rev_Thomson

写真:ロバート・A・タムソン宣教師、ガゼル・R・タムソン夫人 (Japan Baptist Annual 1933)
Courtesy of the Yale Divinity Library

<参考文献>
「灯火をかかげて」・「日本につくした宣教師たち」 大島良雄

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