5月15日のペンテコステ礼拝に備えて、三回にわたり西岡本キリスト教会の前身である葺合バプテスト教会について記しています。
アメリカンバプテスト・神戸地区の担当宣教師であったR・A・タムソン先生の報告によると、「葺合の信徒たちは神戸のスラムの近くで良く知られた小野の善隣幼稚園と密接な関係を保ちながら活動してきた。彼らは小野の大通りに沿った小さな不適当な伝道所で月額五十円という高い家賃を払いながら最初の活動を始めた。彼らは集会のためにそこが手狭になるまで雄々しく継続した」とあります。これが小野浜や葺合講義所(中道通)から続く葺合バプテスト教会への流れであり、この地域の伝道に仕えてきた初代中島辰蔵牧師は、設立当日の11月25日に按手礼を受けています。もちろんこの背景にはタムソン夫人の献身的な働きによる幼稚園の存在があり、小野柄通の園舎が道路拡張のため取り壊しを余儀なくされると磯上通に移転、そして1909年に吾妻通五丁目に園舎を新築しました。このアメリカから多くの献金が寄せられた開園の動機について、「道路から子供たちを集めて、盗みや物乞いよりも良い事を教えたいという願いから始まった」と報告しています。彼らに読み書きを教える無料幼稚園として始まったこの最初の試みは、後の30年間で千名近い卒園児を送り出し、神戸の最貧地区から社会に貢献する青年たちを育てていきました。そして二人三脚で伝道を共にした教会はついに1927年、神若通六丁目に新会堂を建築し、東京学院神学部(後に合併して関東学院)を卒業した若き菅谷仁牧師(1929年に按手礼)を迎え、期待に満ちた福音宣教の歩みを続けたのです。西岡本キリスト教会の礎である筒井善寛兄や百済タマエ姉は、この菅谷先生からバプテスマを受けています。
(牧師 藤岡荘一)
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