1917年5月11日、神戸の病院で一人の宣教師が50歳の生涯を終えて召天しました。その名はルーク・ワシントン・ビッケル。彼はバプテスト神戸地区担当タムソン宣教師からの依頼を受け、1898年に来日した後、翌年から初代福音丸船長として瀬戸内の小さな島々まで巡り、因習深く、個性豊かな島民たちとふれあい、幾多の迫害に耐えながらも、やがて慕われ、彼らに福音を伝えたという類まれなる宣教師でした。私たち教会のルーツに関わるビッケル船長が召天100周年を迎えるこの年、五回にわたって彼の足跡を辿ってみたいと思います。
第五話は「船長の召天」について記します。1917年4月初め、福音丸教会信徒総会が小豆島で開かれ、ビッケル先生は「激動の時代」の宣教報告を終えた後、静養と外科手術を兼ねて神戸のタムソン宣教師宅に向かいました。しかし、それが教会員たちにとって最後のお別れになるとは夢にも思いませんでした。手術後、腹膜炎と肺炎を併発し、病室で苦楽を共にした夫人や友人たちに看取られながら、5月11日、先生は天へと上げられました。すぐさま二日後に神戸バプテスト教会で葬儀が行なわれ、届けられた弔電弔文は400通あまり、6月10日に行なわれた瀬戸田での追悼記念会には島々から600人を超える参列者が集い、先生が幾多の迫害を経た後に島民たちの深い尊敬を得るに至った何よりの証しが明らかにされたのです。二代目福音丸船長となるフランシス C. ブリッグス宣教師はこう言い残しています。
「おそらくビッケル船長の霊的力をもっともよく証ししたのは、彼の死が内外を問わず、友人と知人にもたらした三重の経験であると思います。第一に偉大なものを失った悲しみ、次にこのような人物を知ったことに対する感謝、そして第三にもっと献身的奉仕の生活をしようとする深い願いであります。これは人々が自分の生涯から学んだものではありません。それはビッケル船長を慕う心の中に力強く起こる真の経験であります。」
福音丸は続いて三人の宣教師が仕え、(次の機会に記します)後の1931年1月、伝道の働きをフィリピンの島々に委ねて売却され、その資金を基に、大三島、安下庄、土生、小豆島、瀬戸田の五つの地に会堂が献げられました。それから85年が経ち、大三島教会は解散して更地に、唯一会堂にその面影を残す安下庄教会は売却、残る三つの教会が再建を経ながら現在も伝道を継続しています。来たる召天100周年には、ビッケル先生の福音宣教に駆け抜けた「真の経験」をもう一度共に思い起こし、新たな力を得て、託された務めに励みたいものです。(牧師:藤岡荘一)