『老後を誰と生きる』?
2017年1月29日(日)13時~15時
発題と司会 藤岡荘一(西岡本キリスト教会牧師)
以下のコラムは、東日本大震災が起こる4か月ほど前に、私が当時赴任していた宮城県北部の錦織バプテスト教会からチャプレンとして送られていた錦織保育園で、運動会の様子をもとに園だよりに寄稿したものです。「人はいかに生きるか」と「人は誰と生きるか」について、当時もそんなことを考えていたことを思い出して引っ張り出してみました。シンポジウム当日は10時半から礼拝があり、その後に昼食を用意しています。ぜひ礼拝からご一緒しましょう。お待ちしています。
(バリアフリーなのでどなたでもお入りになれます。)
『愛に根ざし、愛にしっかり立つ者としてください。』(エフェソ3:17)
運動会の「ゴーゴー!かけっこ」を見ながら、風を切って必死に走る子もいれば、どこ吹く風とマイペースで走る子もいて、果たして子どもたちの目的は「先にテープを切る」ことなのか、それともテープの向こうで待つ先生の「胸に飛び込む」ことなのか、「一体どっちなのだろう」と考えてしまいました。「ウサギとカメ」ではありませんが、「速く走る」のと「走り切る」力がおのずと違うように、「先にテープを切る」うれしさと「胸に飛び込む」うれしさは、少し「次元が違う」のかもしれません。よく「ゆっくり急げ」などと「矛盾」したことを言う人がいますが、それは「安心して(落ち着いて)一生懸命やろう」という「励まし」なのだと思います。これから、子どもたちは大きくなる中で「より早くテープを切ること」を数多く求められていきますし、その中で勝ったり負けたりしながら大きく成長していくことでしょう。しかし、その成長を支えるのは、いつか必ず「胸に飛び込める」という「安心感」ではないでしょうか。その道のりにあって、「本当に大切なもの」は切ろうとする「テープ」にはなくて、その先で待っている「胸の中」にあるのだと気づいてほしいものです。