5月15日のペンテコステ礼拝に備えて、三回にわたり西岡本キリスト教会の前身である葺合バプテスト教会について記しています。
新会堂を得て出発した教会は、若き菅谷仁牧師の元、若き信徒たちに恵まれます。そのような中、タムソン夫妻は43年に及ぶ神戸、沖縄、福音丸による瀬戸内海伝道の足跡を残し、1931年帰国引退した後に南カリフォルニアで暮らし始めますが、翌年11月14日にタムソン夫人、その二週間後にタムソン師も後を追うように天に召され、まさに福音宣教に駆け抜けた生涯を証ししました。この二人の祈りが天に届いたかのごとく、葺合教会は1935年に鈴木濱牧師を迎え、後の西岡本の礎となる髙橋政巳兄、神部周平兄が続いてバプテスマを受けます。そしてついに1937年5月、教会と善隣幼稚園が一体化した新会堂(国香通)がウィリアム M.ヴォーリズにより建築されました。この日本人による日本人伝道の開始がタムソン師の悲願であったことを、ワインド宣教師の報告はこう記します。
「彼は献身的な日本人説教者たちが語る主の言葉は、自分の口から出る言葉より一層力があると知って以来、日本人同労者を注意して選び、彼らを背後から励まし、忠告を与え、支持した。(中略)日本人の伝道者たちは責任を感じ、力を増した。」
そして、その新会堂において1939年、筒井善寛・愛子夫妻が鈴木濱牧師により、1942年、髙橋政巳・登世子夫妻が掘岩平牧師により結婚式を行ないます。しかし、その喜びもつかの間、日本とアメリカが戦争を始めるという悲劇の影が刻々と迫っていたのです。
(牧師 藤岡荘一)