葺合バプテスト教会のその後

三回にわたって葺合バプテスト教会の誕生について記してきましたが、番外編として「その後」を伝えします。

→ 「葺合バプテスト教会の誕生」

教会が善隣幼稚園と一体となって新会堂を得た1937年7月、日本は盧溝橋事件によって中国と戦争を始め、12月には南京大虐殺事件を起こします。社会は軍事体制一色に染まり、東西バプテスト組合は連合して米国との関係を断ち、日本を愛する宣教師たちが次々と帰国する中での1941年6月、プロテスタント合同の教派「日本基督教団」を結成しました。そして、その年の末には太平洋戦争が始まり、戦火が国内にも及ぶ中、1945年6月の神戸大空襲によって葺合教会の新会堂はわずか8年で焼失します。教会員たちの失意と反省はどれほどだったでしょう。しかし戦後、神戸に三つあったバプテスト教会(下山手・塚本・葺合)の中からいち早く立ち上がったのが下山手教会(前神戸バプテスト教会)でした。1946年には仮会堂を建て、二年後に神戸の三教会を合同させて日本基督教団「神戸聖愛教会」を設立し、善隣幼稚園もその付帯事業として再開します。しかし1958年1月、元葺合教会の牧師たちは戦前と同様にアメリカン・バプテストと関係を結ぶ「日本バプテスト同盟」の結成に参加し、菅谷仁が総主事、鈴木濱は関西の拠点となる大阪神愛教会牧師、掘岩平はアメリカで学んだ後にシアトル日本人バプテスト教会牧師として、再びバプテストの道を歩み始めます。この鈴木濱師の元で1959年4月10日、旧葺合教会員たちが再結集して開かれたのが筒井・髙橋両家で始められた家庭集会「東神戸伝道所」であり、西岡本キリスト教会はこの日を創立記念日にしています。(牧師 藤岡荘一)

<参考文献> 「日本バプテスト史年表 1860~2005」 編纂委員会
<参考資料> 
西岡本キリスト教会・会員記録

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